繰り返す夏に寄せて

また今年もあの暑い夏の日がやってきた。
広島で育った私は、8月6日の存在を忘れたことはない。

「戦争を早く終わらせるためには原爆が必要だった」
「原爆のおかげで多数の犠牲者を出さずにすんだ」


(原爆投下60年に向けて エノラ・ゲイ クルーの証言)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050805-00000312-yom-int
http://newsvote.bbc.co.uk/mpapps/pagetools/print/news.bbc.co.uk/2/hi/americas/4718579.stm

多数の犠牲者を出さずにすんだと言うが、
広島に落ちた原爆で20万人の犠牲者を出したのだ。
長崎の原爆、沖縄戦、そして多くの都市に空襲を行い、たくさんの一般人の命を奪っている。
原爆があったから多数の犠牲者を出さずにすんだというのは嘘だ。


戦争を早く終わらせるために原爆は必要だったと、多くのアメリカ人が考えているが
すでに日本は降伏の準備をしているところだった。
無条件降伏という条件さえなければ、戦争は終わっていた。


私が知りたいのは、原爆を正当化する理由ではない。
どんな理由があってもあのような兵器で人を殺すことを正当化してはならない。


原爆はほんとうに恐ろしい兵器だ。
しかし、私は原爆を落としたアメリカを今憎んではいない。
原爆を落とすことを選択させた戦争という出来事を、
そして原爆そのものを憎んでいる。


相手国に対する恨みや憎しみは、武力の応酬を招くだけだ。
多くの日本人は戦争を憎み、アメリカを憎まなかった。
そして戦争のない平和な世の中を願った。
このような考え方をもてたことを日本人は誇りに思っていい。
私が知りたいのは、どうすれば世界中の人たちがそう思えるかだ。


ここ最近、自衛隊自衛軍とみなそうという動きがある。
私は戦争は憎むが、日本が武力を持つことは反対ではない。
その武力を、力と力の応酬ではなく、平和を守る力として使うのならば。
アメリカのように押し付けの正義ではなく、スイスのように凛とした力を持ってほしい。


60年前の今日、広島は真夏の日差しに照らされて一日がはじまるところだった。
そこにいる人たちは、今の私たちと全く変わらない、普通の人間だった。
今年も広島は祈りに包まれる。