その時歴史が動いた

グッドバイ ちょんまげ の回。ちょんまげを切り落とし、散切り頭になる過程を紹介する。
木戸孝允が、政策としてちょんまげ切り落とし令を発布したとは。


今から考えると、個人の髪型に対して政府が法律を出すというのはおかしな話だが、
西洋諸国と対等になるためには必要だったのか。
清の辮髪や日本のちょんまげは西洋からは蔑みの対象だった。
自分と違う価値観の人は排除しようという時代だったからしかたがないが、
今もそう言う傾向は残っているのではないだろうか…。
日本人にとってそれは幸せなことだったのだろうか?


ちょんまげには60種類近くの種類があったとは知らなかった。
いろいろ調べてみたら面白そうだ。