注目の広島6区
堀江貴文氏の出馬で突然脚光を浴びた広島6区。
広島県民としてはやっぱり一言書いておきたい。
まさか堀江氏が広島6区から衆院選に出馬するとは夢にもおもわなかった。
選挙と言うのはその地方の出身者が出馬すると思い込んでいたから。
実際は住民票があればどこからも出られるんだなあ。
広島6区は瀬戸内海に面する尾道市、三原市から
山間部の三次市、庄原市を含めたすごく広い選挙区だ。
どちらかというと過疎地域で、高齢者が多い。
堀江氏といえば、経済に精通していて既存のものを覆していくイメージがある。
私からするととても都会的なイメージだ。
広島6区はその華やかな世界とはあまりリンクしない。
農業をしている人も多い地域だし。
なぜ、広島6区なのか?という疑問はぬぐえない。
実際にはふたを開けてみるまでわからないけれど、
広島とは縁もゆかりもない堀江氏を地元が代表としてうけいれるだろうか?
私はすこし難しいんじゃないかなと思う。
広島県民は地元意識がけっこう強いので、やっぱり地元出身者が有利だろう。
いかに自分の意見をアピールしていくかがポイントだと思う。
テレビ各局がものすごく騒いでいるので、
落ち着いて思想を述べる場がもてないのは、ある意味気の毒だ。
家庭用プラネタリウム
THE WINDS OF GOD
映画化、ドラマ化などが予定されていて、いま再注目されているこの作品。
一目本物を見てみたくて、劇場に足を運んだ。
会場は満員。ステージ上にはぽつんと椅子があるだけ。
あまり演劇を見に来たことがないので、どうなるのかワクワクしながら待つことに。
売れない漫才師のアニキと金太が主人公。
最初は軽妙な漫才シーンから。
衆議院解散などの時事ネタも交えたり、舞台から降りてきたり、みるみる劇の世界に引き込まれた。
主人公たちが交通事故にあい、戦時中にタイムスリップ。 物語はいよいよ佳境に。
逃げようとする主人公たちと、特攻隊員たちは対立したり共感しあったり
ぶつかり合いながら問い掛ける。
「なぜ特攻をするのか?」
あと少しで終戦なのに、ひとりまたひとり特攻で散っていく隊員たち。
そして主人公たちも…。
戦争を美化するわけでもなく、悲惨さを強調するわけでもなく、
「国を、愛する人を守るために特攻する」という選択をする姿を
コミカルに淡々と表現している。
でも彼らの行く末を想像すると切なくてたまらない。
必死に国を守ろうとする姿は美しいけれど悲しい。
主役のアニキが、怒り、号泣し、感情をぶつける。
一方で特攻隊員は感情を押し殺す。
その対比が、戦争の悲しさや醜さを象徴しているようだった。
物語の奥には、彼らが今の私たちと同じ人間だということや、
特攻は相手を殺すことでもあること、
現代が平和すぎて平和でなくなっていること、
なにより、今生きていると言うこと自体が素晴らしいことだということ、
とても深くいろんなメッセージが込められていた。
最後はスタンディングオベーション。
万雷の拍手で、今井雅之さんもすこし泣いていらっしゃったよう。
私も胸が熱くなった。
席を立つと、たくさんの若い人たちが一生懸命アンケートを書いていた。
この思いがいつか芽吹きますように。
戦後60年。今大きく世の中は変わり始めている。
このタイミングでこの舞台を見られたことに、ただただ感謝。
とてもいい舞台だった。
原爆は広島だけのこと
繰り返す夏に寄せて
また今年もあの暑い夏の日がやってきた。
広島で育った私は、8月6日の存在を忘れたことはない。
「戦争を早く終わらせるためには原爆が必要だった」
「原爆のおかげで多数の犠牲者を出さずにすんだ」
(原爆投下60年に向けて エノラ・ゲイ クルーの証言)
(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050805-00000312-yom-int)
(http://newsvote.bbc.co.uk/mpapps/pagetools/print/news.bbc.co.uk/2/hi/americas/4718579.stm)
多数の犠牲者を出さずにすんだと言うが、
広島に落ちた原爆で20万人の犠牲者を出したのだ。
長崎の原爆、沖縄戦、そして多くの都市に空襲を行い、たくさんの一般人の命を奪っている。
原爆があったから多数の犠牲者を出さずにすんだというのは嘘だ。
戦争を早く終わらせるために原爆は必要だったと、多くのアメリカ人が考えているが
すでに日本は降伏の準備をしているところだった。
無条件降伏という条件さえなければ、戦争は終わっていた。
私が知りたいのは、原爆を正当化する理由ではない。
どんな理由があってもあのような兵器で人を殺すことを正当化してはならない。
原爆はほんとうに恐ろしい兵器だ。
しかし、私は原爆を落としたアメリカを今憎んではいない。
原爆を落とすことを選択させた戦争という出来事を、
そして原爆そのものを憎んでいる。
相手国に対する恨みや憎しみは、武力の応酬を招くだけだ。
多くの日本人は戦争を憎み、アメリカを憎まなかった。
そして戦争のない平和な世の中を願った。
このような考え方をもてたことを日本人は誇りに思っていい。
私が知りたいのは、どうすれば世界中の人たちがそう思えるかだ。
ここ最近、自衛隊を自衛軍とみなそうという動きがある。
私は戦争は憎むが、日本が武力を持つことは反対ではない。
その武力を、力と力の応酬ではなく、平和を守る力として使うのならば。
アメリカのように押し付けの正義ではなく、スイスのように凛とした力を持ってほしい。
60年前の今日、広島は真夏の日差しに照らされて一日がはじまるところだった。
そこにいる人たちは、今の私たちと全く変わらない、普通の人間だった。
今年も広島は祈りに包まれる。